だからナップスターに乗っておけばよかったのに…という嘆きを,レコード業界に投げ掛ける日は近い。だが,老人たちはいつもそうやって死に絶えていくものだ。さようなら,新しいマーケティングに見向きもしなかったCDたち。音楽に罪はなくとも,レコード会社の老人たちは,罪とともにくたばっていく。そしてその老人に,ピストルを突きつけるのは,あなた,だ。
ナップスター社は,音楽推奨サービスのギガビート社の一部を買収するようだ。また,ナップスターのパートナーであるベルテルスマン社は,ユーザーの行動パターンを学習できるソフトを開発しており,7月に開始される会員制サービスは,それらの技術を集めたものになりそうだ。
ちょっと話はそれるが…。MP3ストリーミングを私が好きな理由は,出会える音楽の幅の広さと,そのなかで自分の好みにあった曲に出会える確率が高いことだ。気に入った曲を流しているラジオ局をみつける。んで,その局で流れている曲は,ほぼ確実にヒットする。簡単だ。ナップスターでは,自分の検索した曲しか目に入らないが(まぁそこから相手の共有フォルダをのぞくことはあるだろうが,たいていゴミが多い),MP3ストリーミングなら,自然と耳に入ってくるので簡単だ。有料となる新しいナップスターも,それに似た,なんらかのサービスを提供したいと考えているのだろう。だが,その最大限に有効なマーケティングも,レコード業界は受け入れないだろう。レコード業界はナップスターがファイル交換を止めると云っても妨害を続ける。ナップスターはどうなっても利益を奪う敵であり,歩み寄りは一切ない。当然の流れの先にある,新しい「秩序」の確立も徹底的に排除し続ける。そして,よっほどスマートではない旧態然とした秩序を押し付けようとする,自らの利益のために。だから,そんな能無しとは,戦いを持つべきだ(過去記事)。
MP3ストリーミングが示しているもの,そしてナップスターが模索しているものは,ある意味で最高のマーケティング手法だ。だが,能無しのレコード業界はそれを理解できない。もう少しで,ストリーミングは本当に個人の手から発せられる。そのとき,過去の秩序に固執しているものは,路頭に迷うしかない。つまり,今,MP3ストリーミングにある所作は,「絶対の」秩序となるのだ。もし,日本にまともな知能を持つレコード会社があるなら,JASRACの手から放れ,MP3ストリーミングに楽曲を開放するマーケティング戦略を立てるべきだ。それを出来ない能無しは,滅んでいったほうがいい。
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